スタッフブログ

2019年06月

2019.06.10

トラウマのある人を思う

  先日、トラウマにおける心理的療法について、臨床心理士たちが学び合う場に行ってきました。講師は精神分析の方でした。一言でいえば、感銘を受けました。これまでの私自身の臨床経験から感じてきたことが、はっきりした輪郭をもって浮き彫りになったように感じました。こんなふうに思える会は、私にはあまりないことなので、自分の言葉にして、今ある感じをここに書き残してみようと思います。

 

 人は、自分のことを人に話したいと思っている。

 しかし、自分のトラウマを話したところで、同じ体験をした人がいない限りわかってもらえないだろうし、

 たとえ同じ体験をしていても、自分の気持ちまで理解してくれる人なんているとは思えない。

 それに、話したところで、過去はかえられないのに、話して意味があると思えない。

 だから、話そうとは思はない。

 簡単にわかってもらいたくもない。

 

 それでも、人は、心のどこかで、自分のことを人に話したいと思っている。

涌井 浩子

2019.06.10

5月の親の会を終えて

   「子どもと話をしていて、私自身が子どもと同じだなぁと思うことがある。」というお母さんの話です。

たとえば、職場の休憩時間中、会話が上手く続かず、思うように人間関係が深まらない状況で、話しにくいと思われる特定の人がいると、‟わたし、何かしたんだろうか?“と思うようになり、‟自分が原因で、あの人から嫌われているんじゃないだろうか?”とどんどん悪い方に考えてしまい、‟自分は、結局、人とは上手くやっていけないんだ。どこへ行っても一緒なんだ。私って、そういう人間なんだ”という考えにまで至り、こういうときは気持ちがどん底まで落ちていったときで、こうなってしまうと、ネガティブな気持ちが止まらなくなるそうです。

 この話を聞いてほかの参加者からは、自分も同じことがあるから、人とかかわるのがわずらわしくなるという声や、自分にはないことだけど、‟自分が人から嫌われる人間なんだと、気になることがあるたびに思い悩むのは本当に辛いことだろう…。”と相手の立場になって想像しながら、苦しい気持ちに寄り添う声もありました。

心理学用語で、『自己関連付け』という言葉があります。いやなことがあると、自分が悪いことをしたせいだと思い込んでしまい、自己を否定する気持ちが大きくなります。自分とは関係ないと頭で分かっていることでも、この思考を止めることができないのは、このような考えに至る‟思考パターン”がその人にできているからです。頭の中でぐるぐると自分を責め続け、独りぼっちの自分へと落ちていくのを繰り返すのは、言葉にできないくらい辛いことだと思います。上記の参加者の場合、以前はもっと自責の念が強く、話せる人もいなかったので、今よりもっと寂しく苦しかったそうです。

当相談室の『親の会』は、聞いているだけでもかまいません。自分と似ていたり、違っていたりの親の立場である人と時間を共有し、相手の話に耳を傾けることで、ご自身の心で何か感じることを大切にしてもらえればと思っています。

◆次回の親の会は、720日午後1時~330分、枇杷島本室にて。 要予約

 

   JR枇杷島駅からの道すがら